私自身にとって、坂井泉水という人の存在はどのようなものだったのか。それは、正直わからない。
泉水さんが死んでしまったという事実を知ったとき、何がなんだか解らなくなってしまった。
「坂井泉水、死去」のニュースを見て、「坂井泉水って、あの坂井泉水?」とか、「死去ってどういうこと?」など、ほとんど頭の中が崩壊状態になってしまっていた。
体調をちょっと崩していたということはは聞いていたのだが、入院しているなんて知らなかったし、まさかガンになっているなんて私達一ファンにはまったく知らされていなかった。
そして、あの事故。
そのあと、ほんとに事故なのかとか、自殺かなどと騒がれていたようだが、私にとってはそんなことはどうでもよかった。
ただ、坂井泉水がもうこの世には存在していないということが、ただただ、悲しくてどうしようもなかった。
今まで、人の死でこんなに悲しい気持ちを感じたのは初めてだ。自分の親が死んだときでも全く泣かなかったのに、なぜこんなに泣けてくるのか。それも涙が出るなんて生易しいものではなく、ほとんど号泣状態になってしまう。
人前では、そういうこともないけど、一人になったときただただ、悲しくて悲しくて、泣けてきてしまう。でも、それがなんでそこまで悲しくて泣けてくるのか自分ではわからない。
大阪に献花に行った時、やはり号泣状態でメッセージを書いておられる女性が何人かいた。それを見ながら私もメッセージを書いていたのだが、泣くのだけはこらえていた。
だから、その場には少しの時間しかいなかった。じっと佇んで流れているDVDをみている人もいたが、私はそんなことを出来るような精神状態ではなかったようだ。
やっぱり泉水さんが死んでしまったのは事実だったんだと改めて思い知らされたのと、今はまだZARDの曲を聴くとは出来そうもなかった。
毎朝聴いていたZARDの曲はその時は全く聴いていなかった。聴く事ができなかった。
献花から帰ってきてから、はじめて、PVのDVDを見た。ずっと涙が流れっぱなしだった。まともに見ていなかっただろう。
次の日からは朝もZARDを聴きながら通勤するいつものパターンを復活させたのだが、もちろん寝ることなんて出来ない。下を向いて目をつぶっているのだが、涙が溢れてきてしまう。そして、流れ落ちる。どの曲を聴いてもそうなってしまう。
あれから、約2ヶ月。曲を聴いて涙が出ることもほとんどなくなったけど、いまだに、なぜこんなに悲しいのか、それはまだわからない。
最初にも書いたが、坂井泉水という人が自分自身にとってどんな存在であったのか。まだ、わからない。
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