2007/07/30

5.27という日。

5.27の前と後でまるで世界が変ってしまった。
簡単に言えば坂井泉水が存在しているかいないかなのだが、それは私にとってものすごく重要なことなのだ。ただ、そのものすごく重要なことであるということがわかったのは泉水さんが亡くなられてからなのだが。

ここ数年、自分自身の環境はあんまりよくなかった。
仕事面でも生活面でも。
楽しいことなどほとんどないし、何かに打ち込んでいるわけでもないし、目標を持っているなんてこともなかった。

だから、ZARDの新曲が出るということだけが唯一の楽しみであったといってもいいかもしれない。

それが、5.27以降なくなってしまった。
もうZARDの新曲は出ない。もちろん、追悼版や、未発表曲というのが発掘されるかもしれない。でも、それは、新曲ではない。それは、ファンの人達はみんな思っていることだろう。

5.27で全てが変ってしまった。自分にとっては、8.15や、12.9や、2.26や5.15や9.11などほとんどどうでもいいことになってしまった。5.27は永久に忘れられない日になってしまった。

そして、毎月の27日もどうしてもしんみりとしてしまう。そして黒い服を着てしまう自分がいる。

しかし、泉水さんがこの世にいないという事実は消しようがない。
いつまでも泣いているわけにもいかないってことはよくわかっている。

だから、あらためて今思うことは、ZARD、坂井泉水という人と同じ時代に生きられたことを幸せに思うと同時に、これから生涯、泉水さんがあたえてくれたことを忘れないであろうし、ZARDの曲を聴き続けるであろう。
そして、いつか泉水さんとめぐり合えることを夢見て生きていく。

2007/07/25

なぜに、これほどまでに悲しいのか。

私自身にとって、坂井泉水という人の存在はどのようなものだったのか。それは、正直わからない。
泉水さんが死んでしまったという事実を知ったとき、何がなんだか解らなくなってしまった。

「坂井泉水、死去」のニュースを見て、「坂井泉水って、あの坂井泉水?」とか、「死去ってどういうこと?」など、ほとんど頭の中が崩壊状態になってしまっていた。

体調をちょっと崩していたということはは聞いていたのだが、入院しているなんて知らなかったし、まさかガンになっているなんて私達一ファンにはまったく知らされていなかった。

そして、あの事故。

そのあと、ほんとに事故なのかとか、自殺かなどと騒がれていたようだが、私にとってはそんなことはどうでもよかった。

ただ、坂井泉水がもうこの世には存在していないということが、ただただ、悲しくてどうしようもなかった。

今まで、人の死でこんなに悲しい気持ちを感じたのは初めてだ。自分の親が死んだときでも全く泣かなかったのに、なぜこんなに泣けてくるのか。それも涙が出るなんて生易しいものではなく、ほとんど号泣状態になってしまう。

人前では、そういうこともないけど、一人になったときただただ、悲しくて悲しくて、泣けてきてしまう。でも、それがなんでそこまで悲しくて泣けてくるのか自分ではわからない。

大阪に献花に行った時、やはり号泣状態でメッセージを書いておられる女性が何人かいた。それを見ながら私もメッセージを書いていたのだが、泣くのだけはこらえていた。

だから、その場には少しの時間しかいなかった。じっと佇んで流れているDVDをみている人もいたが、私はそんなことを出来るような精神状態ではなかったようだ。

やっぱり泉水さんが死んでしまったのは事実だったんだと改めて思い知らされたのと、今はまだZARDの曲を聴くとは出来そうもなかった。

毎朝聴いていたZARDの曲はその時は全く聴いていなかった。聴く事ができなかった。

献花から帰ってきてから、はじめて、PVのDVDを見た。ずっと涙が流れっぱなしだった。まともに見ていなかっただろう。

次の日からは朝もZARDを聴きながら通勤するいつものパターンを復活させたのだが、もちろん寝ることなんて出来ない。下を向いて目をつぶっているのだが、涙が溢れてきてしまう。そして、流れ落ちる。どの曲を聴いてもそうなってしまう。

あれから、約2ヶ月。曲を聴いて涙が出ることもほとんどなくなったけど、いまだに、なぜこんなに悲しいのか、それはまだわからない。

最初にも書いたが、坂井泉水という人が自分自身にとってどんな存在であったのか。まだ、わからない。

2007/07/23

ZARDの音楽としての魅力・・・2

前回の続きです。

さて、「~SUN & STONE~」を買ってからは、全てのCDを購入ということになりました。アルバムもシングルも。シングルで出た曲がアルバムに入っていてもお構いなしです。ZARDの場合、シングルとアルバムとではアレンジが違うものがありますからね。

さて、ZARDの魅力のひとつに、独特の歌詞ですね。
励まされたとか、元気が出るとか。

しかし、私はどうも歌詞というものが理解できないようなんです。
ほとんど聴いていない。それは、ZARDだからじゃなく、どんな、誰の曲であろうともほとんど歌詞を聞かないし、理解できない。歌詞カードなんて見たこともないなんてのはしょっちゅうです。

だから、ここちいいメロディと、綺麗な声。これがわたしにとっては重要なことなんです。

ZARDの場合、メロディはものすごく、いい。
そして、声。坂井泉水の声はなんと心地いい声であることか。

前回も書きましたが、朝の通勤ではZARDしか聴きません。
そして、心地いい声と綺麗なメロディを持ったZARDの楽曲は究極のBGMにもなるのです。

朝の通勤ではZARDは子守唄代わりになります。ほとんど寝てますから。
そして、昼休みに、カフェでコーヒーを飲みながら本を読んでいるときもずっとZARDを聴いてます。いや、聴いていないか。本を読むときは音楽があると気が散って読めないって人もおられると思いますが、私にとっては心地いい音楽は気持ちを邪魔しないのです。

だから、本を読むときもいいのです。周囲の喋っている声や、店の無粋なBGM。それに、店員のマニュアルどおりの応対などが聞こえないほうがいいのです。

何度も言いますが、泉水さんの声はほんとにいいです。元気に声を張り上げているときもいいのですが、そっと囁くようなときはヘッドフォンで聴いているとほんとにほんとに心地いいのです。

とわいえ、あの独特の歌詞。
時々、聴いていてはっとするときがあります。
断片的にフレーズが頭に飛び込んできます。そんな時は、ぞぞっとしてしまいますね。
なぜに、こんな歌詞が書けるのだろうって思います。

とにもかくにも、もう新曲が出ないということは、悲しみしかわいてこない。

2007/07/17

ZARDの音楽としての魅力。

今日から、このブログは趣を変えて、しばらくの間、ZARDと坂井泉水さんのことだけを書いていくことにします。

初めてZARDを知ったのはテレビのミュージックステーションでした。
リモコンをパチパチやってると、ちょうど階段から降りてきてたときで、「ZARDです」って紹介があって、そのときの素直な感想は「美形やなあ」と「オレのタイプや」でした。

でも、その後はテレビ見てないと思うのです。トークや何を歌ったかを全く憶えてません。その当時はほとんど日本の音楽に興味がなかったのと、歌番組ってのは嫌いでしたから。

しばらくして、ラジオから「負けないで」が何度も流れるようになりました。
ZARDってグループの曲と紹介されたので「ああ、あの綺麗なおねえちゃんのバンドか」って思ったのです。ですから、初めて聴いた曲は「負けないで」なんです。

正直、歌を聴いて「そんなに旨くないな」と、「変な歌い方」って思いましたね。話題の「な」のところです。
ただ、メロディはきれいだし、それになんといっても声が素敵でした。
そのときはまだ、「坂井泉水」って名前をしらない時でした。

それ以降、ZARDはヒット曲連発で、常になんらかの曲はラジオから流れてましたね。
私としては、アップテンポで、ディストーションの効いたギターに綺麗な声。それはいいなと思ってました。そして、ボーカルがシャウトしない。これがいいのです。女性ロックバンドはシャウトしてしまうのが私は好きじゃなかったんですね。

CMでもZARDの曲は流れるようになって、題名は覚えなくても曲は聴いた事があるよってのは増えてきました。
そして、「揺れる想い」これは正直、大好きになりました。
CDショップではZARDのポスターなんかも貼られていたので、時々あの綺麗な「坂井泉水」を見ていました。

それでも、CDを買うことはなかったのです。ただ、「ベストが出れば買おうかな」とは思っていました。
で、発売されたのがZARD BLEND~SUN&STONE~」これは買いました。
正式にはベストアルバムではないそうですが。

そして、家の中に1曲目の「君に逢いたくなったら」が流れてきて、泉水さんの声が出てきた瞬間、ZARD大好き人間になってしまったのです。

全て聴いてみるとものすごく心地いい曲ばっかりなんですね。
それに泉水さんの「クリスタルボイス」。そして、いい感じのディストーションのギター。全てが組み合わさって最高に気持ちのいい音楽です。

それまで、外ではカセットのウォークマンを使ってましたが、CDウォークマンに買い換えて、いい音で、毎日ZARDを聴くようになりました。特に朝はZARD以外は聴きません。それは今もそうです。

終わりそうにないので、次回につづくです。